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高野誠鮮の年齢や経歴は?UFOで町おこし!激レアさん11/23出演!

11/23(月)の激レアさんを連れてきた。に高野誠鮮さんが出演します。筋金入りのUFOマニアだったけど、ひょんな事から地元の市役所で働くことになった結果、強引にUFOで町おこしを達成してしまい伝説となった人と紹介されています。

 

UFOで町おこし?ってなんだか、想像がつかないですよね。すっごく興味深い。UFOやUMAのような未確認物体、未確認生物って結構好きなので、どういうことだろうって思います。

 

では、そんな高野誠鮮さんはどういう方なのでしょうか?プロフィールや経歴などを調べてみましたよ。

 

高野誠鮮プロフィール

名前:高野誠鮮(たかのじょうせん)

生年月日:1955年11月2日

年齢:65歳(2020年11月現在)

出身地:石川県

 

高野誠鮮さんは、日蓮宗の僧侶です。ご実家が妙法寺というお寺です。

 

次男だったせいか、お母さまから当初は跡を継がなくていいと言われてきたそうです。ですので、高野誠鮮さんは東京のテレビ局で働いていました。

 

ただ、その時に、檀家さんから「後継ぎがいないから、他の方に寺院を継承する。」と言われたそうで、この時にご長男はすでに他県に家を建てており家を継ぐつもりがなかったそうなので、高野誠鮮さんがお寺を継ぐことにしたそうです。

 

では、どうして、お寺の僧侶が町おこしをすることになったのか?を見てきましょう!

 

高野誠鮮学生時代

学生時代に、「航空宇宙」の世界に興味を持ちます。この時に、航空宇宙で最先端だったスタンフォード大学のペーターA.スターロック博士に手紙を書いたそうです。

 

その先生からなんと先生が書いた論文と返事がきたそうです。まさかですよね。高野誠鮮さんはますます航空宇宙にのめりこみ、ハンガリー出身の元情報将校、コールマン・ブォン・ケビュツキーにも手紙を書いたそうです。

 

そうすると、なんとまた返事が来たそうで、それには「アメリカに来ないか?」と書かれてあったそうです。高野誠鮮さんはアルバイトでお金を貯めて、英語の勉強をし、ついに20歳ごろアメリカの地に!

 

そこで、コールマン先生に人脈の大切さや、戦略の立て方、など色々なことを学び、高野誠鮮さん自身のモノの価値観や考え方に大きな影響を与えます。

 

なんでしょうか、学生時代の時から普通では経験しないようなことをすでに経験されており、これは、もう、何かをやり遂げそうな人だという兆候がみえますよね・・・のちに、この時の経験が町おこしにつながっていくようです。

 

高野誠鮮就職

放送作家

高野誠鮮さん、先にもお話ししましたが、高校卒業後は東京のテレビ局で働いていました。日本テレビの11PMの放送作家などをやられていたようです。

 

そして、このテレビ局時代にご実家の後を継ぐと決めた為、立正大学仏教学部へ進学されて仏教を学びます。

 

実家に戻る

実家に戻ったもののまだお父様が現役の僧侶として働かれていたので、羽咋市役所の臨時職員として働き出します。

 

当時は、給料も安くやりたくない仕事だったので、せめて正規職員になりたいと。でも、年齢的に正規職員になれる試験を受けられなかったそうです。

 

正規職員になるためにはどうしたらいいかと上司に尋ねると、「その町でなくてはならない存在にならないとだめだ」と言われたそうです。

 

そこから、高野誠鮮さんの町おこしが始まります。

 

高野誠鮮UFOで町おこし

羽咋市町おこし

まず、羽咋市のことを知るために、歴史書から古文書までを読みあさったそうです。

 

その古文書の中に「麦わら帽のような形の飛行物体」という記述を見つけ、これをUFOと見立てうどん屋さんに「UFOうどん」というメニューを作ってもらい、マスコミを集め記事にしてもらうと、その雑誌がブレイク。

 

そこから徐々にメディアの露出が増えてきて、活気が出てきます。その後は色々なことに挑戦。

 

農家の所得をあげるため、農家の方が補助金に頼ることなく自分たちの力で稼げるように、農家の方達から出資をつのり直売所を設立し、自分で値段をつけて販売。農家の方の意識も高まり、工夫された売り場にはお客さんでいっぱいになりました。

 

また、羽咋市のお米をブランディングするために、ローマ法王へお米を献上したそうです。このお米は「ローマ法王献上米」として瞬く間に話題となり買い手が殺到。

 

高野誠鮮さんは、お米の問い合わせに対し、「デパートには在庫があるのでは?」と言い、デパートに問い合わせがいくように仕向けたのです。そうすると、デパートから「お米を卸させてください」電話がなり、有名デパートにお米が並ぶようになりました。

 

すごいですよね!高野誠鮮さんは、本当に町おこしをやりとげていかれ、なくてはならない存在になったそうです。

 

でも、全てがうまくいったわけではないそう。成功の裏には失敗もたくさんあったそうです。また、人ともかなりぶつかったのだとか。

 

ここで、高野誠鮮さんがいつも思っている事は、

「失敗しても成功するまでやったらいい」

というのが、考えなのだそうです。

 

これ、かなり勇気のいる事ですよね。出来そうで、出来ないです。やっぱり失敗するのって誰しも嫌だと思います。でも、失敗を恐れずにやるからこそ、その先に成功があるのだなと、高野誠鮮さんをやってこられたことを見て思いました。

 

羽咋市町おこし後は

高野誠鮮さんの功績が認められて、あらゆる役職へ就任されます。

  • 総務省 地域力創造アドバイザー
  • 教育委員会文化財室(歴史民俗資料館)室長(館長)
  • 立正大学客員教授
  • 新潟経営大学特別客員教授
  • 氷見市地方創生アドバイサー
  • 東京大学朝日講座講師
  • 京都大学公共経営論講師

 

素晴らしいですね。ここまでできれば悔いなしと思える人生だなと感じました。

 

11/23激レアさんでは、きっと、もっと面白く話をしてくれると思いますので、ぜひ、激レアさんをご覧ください!

 

まとめ

高野誠鮮さんについてご紹介していきました。

激レアさんだけあって、かなり濃い内容でした。最近特に思うのは、人生一度きり、悔いのない人生を送るためにはってよく考えます。

そのためにも、まずは行動を起こすことが大事だなと思う今日この頃です。